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カーペンターズ追悼ツアー

1970年代にアメリカはもちろんの事、日本や世界中でヒット曲を連発し、一躍スターダムの座にのし上がった兄妹デュオ、カーペンターズ。 1983年のカレンの拒食症による死によって、惜しくもグループは解散してしまいましたが、カレンが亡くなってから30年近く経つ今日においても、日本や世界中で彼らの根強いファンが絶えません。 代表曲に『トップ・オブ・ザ・ワールド』『愛にさよならを』『オンリー・イエスタデイ』『遙かなる影』『愛のプレリュード』『涙の乗車券』『イエスタデイ・ワンス・モア』『青春の輝き』などがあります。

そんなカーペンターズ兄妹は、彼らが10代の頃、コネチカット州のニューへイヴンからカリフォルニア州のダウニーに家族で引っ越して来ました。 そして、彼らは地元の高校や大学に通い、1966年に大学時代に仲間と組んだバンド「リチャード・カーペンター・トリオ」で、ハリウッドボールで毎年恒例であった「バトル・オブ・ザ・バンド」で優勝し、プロデビューを果たしました。

このツアーではロサンゼルスにあるカーペンターズ縁の地を巡りながら、70年代を代表するこの素晴らしいバンドの軌跡を辿り、追悼するツアーです。日本のカーペンターズファンの皆様に少しでも喜んでいただけるようなツアーをお届けできれば幸いです。

1963年6月、コネチカット州ニューへイヴンからカリフォルニア州ダウニーにカーペンター家が引っ越してきて初めに住んだアパート。 コネチカットの家が売れず、当時お金がなかったカーペンター家は、このアパートの22号室に住んでいましたが、より広い真向かいの23号室に移っています。 ここで1年以上の日々を過ごしました。

1964年11月、ついにニューへイヴンの家が売れ、カーペンターズ家はようやく一軒家に移る事ができました。 兄のリチャードが「絵本のような家」と形容したこの家にカーペンター家は1971年まで暮らしましたが、近くを走る高速度道路の建設に伴い、惜しくも1980年代に取り壊されてしまいました。 その跡地が今でも残っています。

地元出身の彼らの名にちなんだカーペンター小学校。(リチャードとカレンが通っていたわけではありません。)

ここは、カーペンター家の住んだ家で最も有名な家です。彼らが最も売れた時期に住んでいた家で、1973年のアルバム『ナウ・アンド・ゼン』のアルバムジャケットにも登場するからです。 リチャードとカレン兄妹は、『遙かなる影』や『愛のプレリュード』の成功で得たお金でこの家を購入しました。 間取りは、2階建てで、5寝室、3つのガレージがあります。

1983年の2月4日、前の晩に両親を訪れていた妹のカレンがこの家の2階の寝室のウォークインクローゼットで倒れ、近くの病院に運ばれましたが、その後敢え無く帰らぬ人となりました。

1973年に兄のリチャードが両親のために購入しましたが、彼らがあまりにも前の家を気に入っていて、代わりにリチャードが引っ越してきました。 1974年には、カレンも一時期この家で暮らしましたが、また前の家に戻っています。

この家は3人目の愛娘ミンディが産まれた1992年にリチャード・カーペンターがデザインして建てられました。 間取りは、4寝室、6浴室の豪邸です。 この家はリチャードが曲をアレンジしたり、エンターテイメントを楽しめるような造りになっています。 その証拠にオフィス、バー、6つのガレージ、地下には8席あるホームシアターもあります。 現在の不動産価格は、日本円で2億円弱です。

ここはリチャードがダウニーで暮らした最後の家で、2000年代に家族でサウザンド・オークスに引っ越しています。

『遙かなる影』と『愛のプレリュード』のアパート。 ここは、リチャードとカレンが将来の蓄えのために、彼らのヒット曲の名前をつけて建てられました。 ある時期、兄のリチャードは日常の喧騒から離れるため、このアパートの一室に住んでいたそうです。あれから40年以上が経過しますが、70年代に建った時と今もほとんど変わらず、その姿をとどめています。

コネチカットからダウニーに引っ越してきた当時、リチャードとカレンが通った地元の高校。 ここでカレンは体育の授業をやめて、マーチングバンドの一員になりました。 当初カレンは学校の教師の奨めで、グロッケンシュピールを演奏していましたが、性に合わないため、途中でドラムに変更し、その才能を認められました。

この高校の真向かいにダウニーの市立図書館があります。 2001年10月21日、この図書館のスタッフと利用客たちが、地元出身のカーペンターズ兄妹を追悼して、「カーペンターズ・コレクション」を設けました。 お披露目式には、兄のリチャードも参加し、図書館のロビーにあるショーケースに、カーペンターズ関連の書籍、歌本、アルバム、ファンクラブのニューズレター、ビデオ、DVD、CD、新聞や雑誌などが所蔵されています。

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カレン・カーペンターさんのお墓。 元々はサイプレスにあるフォーレストローンにありましたが、2003年に兄リチャードさんの意向でロサンゼルス郊外の墓地に移されました。 父ハロルド・カーペンターと母アグネス・カーペンターのご両親と一緒にこの建物内に埋葬されています。 一番上にあるカレンさんの棺には、『この世で天使、あの世でも天使』と書かれています。

カーペンター・ファミリー・シアター。 リチャードさんの子供たちが通う高校にあります。

サウザンド・オークス市役所の前庭。 メアリーとリチャード・カーペンター夫妻がサウザンド・オークス市のパフォーミング・アーツ・センターに多額のお金を寄付した事を称えて、彼らの名前を冠した。

リチャード・カーペンターさんがコレクションしているクラッシックカーが保管されているガレージ。 残念ながら、一般公開はしておりませんが、直接行って交渉すれば、何とかなるかもしれません!?

カリフォルニア州立大学ロングビーチ校にあるリチャード&カレン・カーペンター・パフォーミング・アーツ・センター。シアター内にはショーケースにグラミー賞やアメリカン・ミュージック・アウォードなどのメモラビリアやゴールド・ディスクなどが展示されていて、館内でのイベントが行われている時間やアポを取れば、見学する事も可能です。詳細はお問い合わせください。

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もとA&Mスタジオがあった場所。今はセサミストリートなどで有名なジム・ヘンソンが所有している。ここで、リチャード&カレン・カーペンターがA&Mの創業者の一人ハーブ・アルパートにその才能を見いだされた。

ハンティントン・ライブラリー・・・『オンリー・イェスタデー』のミュージックビデオがこの博物館内の日本庭園などを中心に広大なガーデン内で撮影された。

センチュリー・タワー・・・カレン・カーペンターさんが拒食症で亡くなる前に、一時期住んでいたマンション。1976年にカレンさんがこのマンションの2棟を購入し、デュープレックス(複式マンション)に改築している。過去にマイケル・ダグラスとキャサリン・ゼタ=ジョーンズ夫妻、バート・ランカスター、テレビドラマ『逃亡者』のデビット・ジャンセン、ダイアナ・ロス、ベリー・ゴーディ、松田聖子さんなどもいた有名な高級マンション。

サンビ・レストラン・・・かつて、リチャードやカレンも良く訪れた日本食レストラン。レストラン内には、彼らの写真なども飾られていたが、残念ながら2010年に閉店している。ダウニー高校やダウニー図書館の近くにあり、今でも閉鎖されたままの建物や看板が1970年代にできた古き良き時代の当時のアメリカを偲ばせるかのように寂しく佇んでいる。

ポロ・ラウンジ・・・レイ・コールマン著の『カーペンターズ:知られざる物語』によると、よくカレンさんはかの有名なビバリーヒルズホテルのポロ・ラウンジで食事を楽しんでいたそうだ。マイケル・ジャクソンやエリザベス・テイラーなどたくさんのセレブが訪れるレストランで超有名である。

carpenters walk of fame

カーペンターズ・ウォーク・オブ・フェイム

ツアー催行人数:お1人様~最大7名様まで。

ツアー料金:チャーターベースで、1時間55ドル(7名様ご乗車可能ミニバン)

料金に含まれるもの:日本語ガイド代、車両代、ガソリン代など。

料金に含まれないもの:駐車場代、入場料などが発生した場合はお客様のご負担となりますので予めご了承ください。

最小催行時間:5時間以上。

ツアーにご興味のございますお客様はE-mail: info@dreamscometours.com、またはこちらから、遠慮なくお問合せくださいませ。

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