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ウォルト・ディズニー縁の地チャーターサービス

ウォルト・ディズニーの軌跡を辿るツアー

ある日、友人から日本のとある有名人SNさんのお母さんKNさんがロサンゼルスに来るので、ディズニーのゆかりの地を案内してほしいと言われ、自分でインターネットなどで色々と調べて、即興でKNさんをディズニーのゆかりの地にご案内した。SNさんがディズニー映画のメインキャラクターの日本語での声優をやることになり、KNさんがディズニーリゾートのクラブ23に招待され、ウォルト・ディズニーさんに感謝して、お墓参りをするついでにウォルトのゆかりの地を色々とご覧になりたかったようで、私にそのような依頼が来たのであった。KNさんにはとてもツアーを楽しんでいただき、私もとても嬉しかった。それがきっかけで、ウォルト・ディズニーの軌跡を巡るツアーを企画したのであった。


元ロバートおじさんの家

#ロバートおじさんの家 #ウォルト・ディズニーゆかりの地ツアー

時は1923年の夏、カンザスで夢破れたウォルト・ディズニーは22歳の時、数ドルをポケットに、当時ハリウッドのロスフェリス地区にいたロバートおじさんを頼って、カリフォルニアに移住しました。ウォルトは週5ドルでこの家の一室を借りました。すでに兄のロイは結核の再発により、ウエストロサンゼルスのソーテル地区にある退役軍人病院に入院しており、病床のロイを訪ねたウォルトにロイは大好きなアニメーションの世界にとどまるよう説得しました。そして、ウォルトはロバートおじさんの家に戻ると、週1ドルのレント料でこの家の裏庭のガレージを借り、昔の古いサイレント映画用のカメラを購入し、数日かけて簡単なアニメーションを製作しました。


ロバートおじさんの家の裏にあったガレージ

1923年、このガレージはロバート・ディズニーのハリウッドの家の裏庭にありました。この年の7月に、彼の甥のウォルトが仕事を探しにハリウッドに来ました。そして、ロバートおじさんの部屋の一室に週5ドルで住まわせてもらいました。

ウォルトはその時、若干21歳。カンザスのアニメ会社で失敗した時でした。そして、ウォルトはアニメ映画の監督になる事を夢見て、ハリウッドに来たのでした。しかし、当時のアニメ映画はすべてニューヨークで製作されていました。

2~3週間のハリウッド滞在中、ウォルトはまだ新しい映画会社での仕事の無さにモチベーションを失いかけていました。そして、その時ウォルトは兄のロイを訪ねました。ロイは、第一次世界大戦の兵士で、UCLA近くの退役軍人病院に結核の再発で入院していました。兄のロイは弟のウォルトに大好きなアニメーションの世界にとどまるよう説得しました。

ウォルトはロバートおじさんの家に戻ると、週1ドルで裏庭のガレージを借りる事にしました。ウォルトは、古い昔のサイレント映画用のカメラを購入しました。そして、数日かけて簡単なアニメーションを製作しました。ウォルトはその作品を興行師アレキサンダー・パンデージスのところに持っていきましたが、受け入れてもらえませんでした。

幸運にも、カンザスで製作したアニメーションが東海岸の業界の人の目にとまり、1923年10月『アリスコメディー』は映画配給会社から契約をもらいました。

ウォルトとロイは、この契約を機に、ディズニー・ブラザーズ・フィルム・スタジオを始めました。彼らは、ロバートおじさんの家から数ブロックのところにあるオフィスを月10ドルでレントし、次の2~3年間に『アリスコメディーシリーズ』や『しあわせウサギのオズワルド』など2本の作品のシリーズを製作しました。そして、1928年、ウォルトは最初のミッキーマウスをデビューさせました。


ディズニー兄弟の最初のアニメーションスタジオ

1923年10月、ウォルトとロイは月10ドルのレント料で当時Holly-Vermontという不動産会社だった建物のオフィスの後ろを借りて、彼らの初めてのアニメーションスタジオを立ち上げました。社名はディズニー・ブラザーズ・スタジオ。ここはロバートおじさんの家からも数ブロックしか離れておらず、徒歩で通える圏内でした。その後、ニューヨークのディストリビューターから『アリスコメディー』というアニメーションと実写を混ぜたショートフィルムの契約のオファーを得ました。

1924年の1月には、ハリウッド大通りとロドニードライブの角に空き地を借り、そこで『アリスコメディー』の撮影をしました。


ウォルトとロイが下宿した家

兄のロイとウォルトがロバートおじさんの家を出て、真向かいにあるこのチャールズ&ネッティー・シュナイダー夫婦(当時住んでいた夫婦)の家の一部屋を借りて、暮らしていた。


ウォルトとリリアンの最初のアパート

#ウォルト・ディズニーゆかりの地ツアー #ウォルトとリリアンの最初のアパート

1925年にウォルトは彼のアニメーションスタジオで働いていたリリアンと知り合い、結婚。二人で最初に借りたアパート。1925年から1927年までの3年間の新婚生活をここで送った。


ハイペリオン・スタジオ

1925年7月6日、『アリスコメディー』の成功により、ディズニー兄弟は400ドルの頭金で、ロスフェリスにあるハイペリオン通り沿いの土地を購入し、ここにアニメーションスタジオを移設した。そこで、ディズニー・ブラザーズという社名から、ウォルト・ディズニー・スタジオに社名変更した。


白雪姫コテージ(七人の小人コテージ)

ウォルトとリリアンが最初に住んだ家

1927年、ウォルトは$7,000でこの英国チューダー調の組み立て式プレハブ住宅を購入し送ってもらい、大工を雇ってここに組み立てさせた。兄のロイもその隣に同じような家を建てている。1928年ハイペリオン・スタジオで労働者のデモがあったとき、この家のガレージでミッキーマウス(プレイン・クレイジー)のセル画の色をウォルト、リリアン、ロイの奥さんエドナが仕上げた。ウォルトとリリアンは1927年から1933年までこの家に暮らした。


ウォルトのリリアンの2つ目の家(ウォーキングウェイの家)

『白雪姫』などの大成功により、1932年の春から夏の約2か月ちょっとかけて、ウォルトとリリアンは$50,000でこの家を建てた。地中海、チューダー、フレンチノルマンディー調を融合させた建築。間取りは2階建て、4寝室、5バスルーム、6,388スクエアーフィート、593平米、約180坪だ。家の敷地面積は5エーカー、20,234平米、66,890坪だ。通称「ヘンゼルとグレーテルの家」と言われた。家の中には小映画館もあり、ウォルトは毎日ここで子供たちと、『白雪姫』、『ファンタジア』、『バンビ』、『シンデレラ』、『風と共に去りぬ』、『市民ケーン』などの映画を鑑賞したようだ。ハイペリオン・スタジオもこの家から見渡せて、1933年から1950年までこの家に暮らした。2011年8月日本円で約3億7千万円で売却された。


ウォルトが晩年に住んだ家


ウォルトが亡くなった病院


ウォルト・ディズニーのお墓

1966年12月15日肺がんのため、セント・ジョセフ病院で65歳の若さでこの世を去ったウォルト・ディズニーのお墓。ウォルトが亡くなって2日後、彼のご遺体は火葬され、フォーレストローン・メモリアルパークに葬られた。


ロイ・ディズニーのお墓

ウォルトの8歳年上の兄ロイ・ディズニーのお墓。ロイは主にウォルト・ディズニー社の経営面で、会社を支えていた。ロイの隣には、奥さんのエドナさんのお墓もある。


ウォルト・ディズニー・キャロルウッド・バーン

1950年ウォルトは、ホーンビーヒルズの家の敷地にキャロルウッド・パシフィック鉄道を作りました。そして、その鉄道を動かしたり、モニタリングするための
かつて住んでいたミズーリ州のマルセリーヌにあったような納屋を作りました。その納屋がCarolwood Barnです。ウォルトが亡くなった後、ホーンビーヒルズの家は売られ、この納屋も撤去されるところでしたが、ウォルトの長女、ダイアンはこの納屋は父にとってとても重要な場所だったと悟り、キャロルウッド・ソサイエティの創始者マイケル&シャロン・ブローギー夫妻に連絡し、この納屋を無事にグリフィス公園に移して、保護することに成功しました。ウォルトはこの納屋で鉄道を作ったり、新しいプロジェクトやアイデアを考えたりして、彼の人生の多くの時間を費やしました。それゆえ、この納屋はあのイマジニアリングの生まれた場所だと言われます。納屋の中にはたくさんのウォルトのメモラビリアが飾られており、毎月第1と第3日曜日の午前11時から午後3時まで無料で一般公開されています。


LA Live Steamer Railroad Museum


グリフィス公園のメリーゴーランド


ウォルトはよく土曜日に、娘のダイアンとシャロンを連れて、グリフィス公園のメリーゴーランドを訪れたそうだ。そして、娘がメリーゴーランドに乗って無邪気に楽しんでいる時、ひとりベンチに座り、自分も娘たちと一緒に楽しめるそんな夢の遊園地があったら、どんなに楽しいだろうかと思っていたそうだ。そして、その夢の遊園地をなんと現実のものにしてしまったのだ。そう考えると、ディズニーランドの原点は、このメリーゴーランドやキャロルウッド鉄道にあると言っても過言ではあるまい。


グリフィス公園のゴルフ場


1931年に過労で倒れたウォルトは健康のためにゴルフを始めた。いつも朝5時半には起きて、グリフィス公園にあるゴルフ場に通っていたが、OBばかり出して、自分には合わないスポーツだとすぐにあきらめた。


ウォルト・ディズニー・スタジオ

カリフォルニア州バーバンクに本拠地を置くウォルト・ディズニー・スタジオ。社屋には、ディズニーを支えた七人の小人たちが。残念ながら、一般の入場は出来ませんが、外から七人の小人たちの写真を撮る事は可能です。オリエンタル・ランドに務めている方やディズニーランドのキャストの方は交渉次第では、中のアーカイブを見学させてもらえる可能性がございますので、弊社までお問い合わせ下さい。出来る限り、ディズニー側に交渉してみます。


ディズニー・イマジニアリング


ウォルト・ディズニー・アニメーション・リサーチ・ライブラリー

住所も明かされていない極秘施設。ディズニー・アニメーション作品の6500万点以上のアートが保管されている場所。Vaultという部屋には、『白雪姫』、『ピノキオ』、『くまのプーさん』など27作品分の下書き、スケッチ、背景までたくさんの資料を保管している。保管されている作品のほとんどが紙の作品なので、室内は一定の温度、50%の湿度を保っている。『白雪姫』や『美女と野獣』などの原画がある。


チャイニーズ・シアター

シリー・シンフォニーの花と木のカラーでのプレミアを上映し、センセーションを巻き起こした。1964年には『メアリー・ポピンズ』のワールドプレミアムが行われ、主演のジュリー・アンドリュース、ディック・ヴァン・ダイクがレッドカーペットを歩いている。


Carthay Circle Theater

1937年12月21日、『白雪姫』のプレミアが行われた場所。


ドナルド・ダックの足形&サイン


1984年5月21日、ドナルドの50歳の誕生日を記念して、ハリウッドのチャイニーズシアターの前庭にドナルドとドナルドの声役のクラーレンス・ダッキー・ナッシュが直筆のサイン、日付、足形を入れた。数々の映画、テレビ番組、漫画などに出ているドナルドの人気と多産性を認められて、選ばれた。ディジーも式にお目見えしている。他にも、ドナルドはウォーク・オブ・フェイムの星形にも選ばれている。

エル・キャピタン・シアター

ディズニーの映画専門の映画館。ディズニーの映画しか上映しない。新作のディズニー映画のプレミアも良く行われ、出演する俳優がレッドカーペットを歩くイベントも良く行われている。 アカデミー賞が行われるドルビーシアターの斜め前にあり、ディズニーのクラッシック映画なども上映したり、ディズニー映画のプレミア賞も度々開催している。隣には、ディズニーカフェやディズニーストアもあり、ディズニーマニアには必見の映画館です。


ディズニー・スタジオ・ストア

エル・キャピタン・シアターの真横に位置するこのお店は、文字通りソーダなどのソフトドリンクや各種サンデー、パフェなどを数多くメニューに取りそろえたカフェとディズニーグッズが少々置いてあるお店がある。特に、ミッキーズ・マスターピースというサンデーはここの名物で、数人でシェアしても残るぐらいのボリュームだ。お値段は、30ドル。あなたも試してみては!


ウォルト・ディズニーのウォーク・オブ・フェイム(テレビ部門)

ウォルト・ディズニーさんは、 1960年の2月8日に テレビと映画の2つの部門でウォーク・オブ・フェイムの星形を入れている。これはテレビ部門のウォーク・オブ・フェイム。


ウォルト・ディズニーのウォーク・オブ・フェイム(映画部門)


ミッキー・マウスのウォーク・オブ・フェイム

ミッキー・マウスは、1978年の11月13日にハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムの星形に名前が刻まれた。 男性のキャラクターではミッキーが初めて星を入れた。女性のキャラクターは白雪姫が初。


くまのプーさんのウォーク・オブ・フェイム


ティンカー・ベルのウォーク・オブ・フェイム


ドナルド・ダックのウォーク・オブ・フェイム


ディズニーランド50周年記念 のウォーク・オブ・フェイム


タム・オ・シャンター

1920年代から1930年代のウォルトの平日のランチはいつもここでした。このレストランの建物が、のちの『白雪姫』に出てくる7人の小人たちの家のモデルになったと言われています。店内にはウォルトのアニメーションアートや歴史的な写真が飾られています。リクエスト次第では、ウォルトのお気に入りの31番テーブルにあてがってくれます。

ウォルトはよく飲み物用のナプキンにスケッチしたり、彼が31番テーブルに刻んだいくつかの絵は今も残っています。ウォルトのお気に入りは1922バーガー(『世界ふしぎ発見』によると)だが、実際お店に行ってみるとそのようなものはメニューに載っていないし、店員に聞いても知らないようで、どうやら番組のために特別に作ってもらったようです。お店の店員さんによると、ウォルトはスパゲティ、チリビーンズのスープ、バーガーなどが好きだったようです。ある店員さんがウォルトの好きだったメニューにあげたToad In the Holeというメニューは、フィレミニヨン、マッシュルーム、オニオン、ギネスグレイビーソースが入ったヨークシャープディングだそうです。


スモーク・ハウス・レストラン

生前、やはりウォルトが良く訪れたレストラン。ここのプライムリブは最高です。店の人曰く、ウォルトの好きだったメニューは、ステーキ・シナトラというパスタだったそうです。ピーマン、エシャロット、ニンニク、マッシュルーム、トマト、赤ワインと一緒にソテーされたフィレ肉の乗ったリングイネのパスタです。


ミレニアム・ビルトモア・ホテル

かつて、このホテルのボールルームでアカデミー賞が数回行われ、ウォルトも奥さんのリリアンとよく出席していた。『白雪姫』でオスカーを受賞した時に、シャーリー・テンプルからオスカー像を渡された写真などがホテル内の廊下の壁に飾られている。


ウォルトの乗馬場


ロサンゼルスの駅

ウォルトが1923年の夏、カンザスからハリウッドに住むロバートおじさんを頼って、汽車(サンタフェ鉄道)でたどり着いた駅。


チャーリー・チャップリン・スタジオ

ウォルトが1923年にハリウッドに上京して、憧れのチャップリンのスタジオを訪れている。


ハリウッドパーク競馬場跡地

1938年ハリウッド・ターフ・クラブによって開設された競馬場がかつてあり、取締役の一人にウォルト・ディズニーも名を連ねていた。


グッド・サマリタン病院

1931年、ウォルトが精神的に倒れて入院した病院。


ジョン・ラセターが卒業した高校


ウォルト・ディズニーさんがここカリフォルニアで歩んだ人生をご紹介いたします。

世界でもっとも幸せな場所と言えば、皆様ご存知ディズニーランドですね。 1955年にカリフォルニア州のアナハイムに誕生して以来、世界各地に展開し、今ではこの魔法の大国を知らない人はいないと言えるほど、世界中で有名になりました。 そんなディズニーランドの産みの親であるウォルト・ディズニー。 シカゴで生まれ、少年期をミズーリ州で過ごしたウォルトは、兄のロイとおじさんのいるカリフォルニア州に引っ越して来ます。 そして、おじさんの家のガレージを借りて、ウォルトディズニー社の前進となるウォルト・ブラザース社を設立します。 そして、その後ロサンゼルスのシルバーレーク地区に社屋を構え、今のような一大企業を築いたのです。

このツアーでは、そんな夢追い人、ウォルトディズニーを追悼して、ウォルト・ディズニーの様々な縁の地へ皆様をご案内いたします。

催行日:お問いあわせください。(毎月第3日曜日が理想です。)

最低催行人数:お1人様から最大7名様まで。8名様以上のご参加はお問合せください。

料金:カスタムチャーターで1時間70ドル。

ツアー代に含まれるもの:日本語ガイド代、車両代。

ツアー代に含まれないもの:駐車場代、入場料、チップ、その他諸々の経費。

 イメージ

縁の地名

解説

ウォルト・ディズニーのお墓 奥さんのリリアン・バウンズ・ディズニー、次女夫婦と共にグレンデールのフォレストローンに眠っている。一般入場でき、お花やメッセージを添えることもできる。最近お亡くなりになった、長女のダイアンさんもこちらに埋葬されたそうだが、プレートにはまだ彼女の名前は記されていない。右下の人魚の女の子の銅像あたりに、よくファンの方の花束やミッキーのぬいぐるみなどが手向けられている.
元ロバートおじさんの家 ウォルトが兄のロイとカンザスから引っ越してきて最初に住んだおじの家。この家のガレージで創業した。そのガレージは今もガーデン・グローブにあるスティーブン・ランチ・博物館で毎月第1と第3日曜日でしたら中を見学することができますが、普段でもガレージの外装だけは見学できます。
ウォルト兄弟がおじさんから借りたガレージ ウォルト兄弟がおじさんから借りて、最初にアニメーション作りを始めたガレージ。このガレージは今もガーデン・グローブにあるスタンリー・ランチ博物館で毎月第1と第3日曜日の午後1:30にツアーに参加して見学することが出来る。
ウォルト兄弟が下宿していた家 ウォルトブラザース社を起業し、ある程度金銭的に余裕ができると、おじの家からこの家に下宿し始めた。
ディズニー兄弟が開いた最初のオフィス  おじから借りていたガレージを出て、ある店の裏側を借り、ウォルトブラザースの初めてのオフィスを構えた。今は、アパレル関係のブティックになっている。ロバートおじさんの元家から数ブロックのところに位置する。1929年の10月30日にロイとウォルトは月10ドルの家賃でここを借りて、アニメショップを開き、玩具や類似品を売りに出していたようだ。お店の奥には、当時描かれたと思われるミッキーの原画が飾ってあり、お店の店員がとても感じよく説明してくれて、中を見せてくれる。
  アリスコメディーシリーズの撮影の為に借りた場所? ロイとウォルトがディズニー・ブラザーズ・カンパニーを立ち上げて、最初に作った実写も交えたショートアニメシリーズの「アリスコメディー」を撮影していたスタジオがあった場所。今は、ワッコー・ソープ・プラントというよくハリウッドセレブも来る雑貨屋さんになっているところか、あるいはその隣にあるグッド・ウィルという屋内フリーマーケットのあたりに当時あったと古い文献に記されている。
 ハイぺリオン・スタジオ
 最初のオフィシャルのウォルト・ディズニー・スタジオ。オリジナルのアニメーションスタジオの跡地。ウォルトがリリアンと結婚する1週間前の1925年7月6日、ロイとウォルトのディズニー兄弟は、このロスフェリスのハイぺリオン通り沿いの土地を400ドルの頭金で購入した。1年後、ウォルトはディズニー・ブラザーズから、ウォルト・ディズニー・スタジオと改名した。
gelsons  最初のウォルトディズニースタジオの跡地  今は、カリフォルニアの歴史的文化遺産として登録され、記念プレートが電信柱に取り付けてあるが、建物自体は取り壊され、ゲルソンズという高級スーパーになっている。このスーパーの中に、当時のウォルト・ディズニー・スタジオがあった時の、写真が飾られていて、スーパーの従業員のエイドリアンという女性が詳しく説明してくれる。
 七人の小人たちの住む家のモデルになったアパート(シエラ・ボニータ・アパート) このアパートは、ウォルト・ディズニー・カンパニーのアニメーターたちが住んでいた。「七人の小人たち」が住む家のモデルになったようだ。というか、ウォルトが実際に当時のアニメーターたちに小人の家に住んでもらって、実際に小人のアニメを描くためのイメージ作りのために、このようなアパートを作って、住まわせたようだ。
Walt Disney Lyric Avenue House  ウォルト・ディズニーの最初の家 1926年にウォルトは、広さ267平米(約80坪)の土地を当時1000ドルで購入。兄のロイも同じ広さの土地を隣に購入。そして組み立て式の家をそれぞれの敷地内に建てた。間取りは2寝室、1浴室で、二つの家を建てるのに全部で8000ドルかかっている。ウォルトとリリアンは、1932年にウォーキング・ウェイの家に移るまでこの家に住んだ。
 ウォルト・ディズニーが2番目に住んだ家  ウォルトが1932年から1949年に妻のリリアンと住んだ家。間取りは4寝室、5浴室、敷地面積は約2万平方メートル。
 ウォルト・ディズニーが晩年に住んだ家  マイケルジャクソンなども住んでいた高級住宅街、ホーンビーヒルズにある。 ウォルトが1948年から1966年に亡くなるまで住んでいた。敷地面積はやはり、2万平方メートルほどあり、7寝室、14浴室。庭にキャロルウッド・パシフィック鉄道を走らせていた。
 ウォルト・ディズニー・キャロルウッド・バーン(ホーンビーヒルズの家にあった納屋)  ホーンビーヒルズの家にあった納屋、毎月第3日曜日のみ一般公開、但し一人4ドルの寄付が必要です。ウォルトはこの納屋の中で、庭に走らせていた蒸気機関車を修理したり、いろいろな作業をしていたようです。
   ウォルト・ディズニー・コンサートホール  1987年、ウォルトの妻リリアンの意思で、ディズニー家が総額1億ドル以上を拠出してできたコンサートホール。設計はフランク・ゲーリー、音響は日本のサントリーホールも手がけた豊田泰久が担当した。LAフィルの冬のホームでもあり、クラッシックやジャズのコンサートなどが行われている。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
ウォルト・ディズニー・スタジオ 1940年にシルバーレイクからここバーバンクに移転して出来たスタジオ。特に一般向けのツアーは催行されていないので、外観から社屋を眺める程度ですが、運がよければ『七人の小人たち』やウォルト・ディズニー、ミッキーなどの銅像も見ることが出来るかもしれない!?
  ウォルト・ディズニー・イマジニアリング 世界中のディズニーランドの建築、設計に携わる部署。ここで働く人たちは、イマジニアと呼ばれている。
  グリフィス・パークにあるメリーゴーランド 1940年代のとある日曜日の昼下がり、ウォルトはまだ幼いダイアンとシャロンをよくこの公園のメリーゴーランドに連れてきました。そして、お気に入りのベンチに座り、ピーナッツを頬張りながら、大人と子供が一緒に楽しめるようなそんな夢のテーマパークを造ることを夢見ていたのです。それが今日のディズニーランドです。

スティーブン・ランチ博物館のツアーの様子↓ stevenranch1 stevenranch2 stevenranch3 stevenranch4 stevenranch5 stevenranch6 stevenranch7 stevenranch8 stevenranch9 stevenranch10 stevenranch11 stevenranch12 stevenranch13 stevenranch14 stevenranch15 stevenranch16

必ずお読みください。 *キャンセルポリシー *基本的にツアー催行日の2週間まではキャンセル料はかかりませんが、2週間を過ぎますと、100%のキャンセル料がかかりますので、ご了承ください。 チケット代が発生するツアーに関しては、お申込を頂いた時点でチケット代はキャンセルできませんので、予め御了承をお願いいたします。(7/1/2012 より改定)