バック・トゥー・ザ・ゲイリーツアー~マイケルの軌跡を辿る~
バック・トゥー・ザ・ゲイリーツアー ~マイケルの軌跡を辿る~
マイケルが亡くなって今年で5年目になり、8月29日はマイケルの誕生日ということで、地元ゲイリーでは毎年彼にちなんだイベントが行われます。2012年のマイケルの命日後に、弊社でゲイリーツアーを敢行した際に、当時鉄鋼で栄えた町ゲイリーを訪れ、マイケル他兄弟姉妹が育ったあの小さな2ベッドの家を目の当たりにした時、正直この町からどのようにしてあのような大スターが誕生したのだろうと思いました。人口がほとんどの黒人の町ゲイリー。差別や貧困というすさまじい環境の中、貧しさから脱したいという父親の願いと他者とは交わらない母親の宗教観が功を奏して、ほとんどの若者がギャングなどに交わる中、ジャクソン兄弟は音楽に希望を見出し、その才能を着々と開花させていったのでした。この町を訪れると、今でもジャクソン家が過ごした当時の様子が伺われ、マイケルがこの町でどのようにして生まれ育ったかを垣間見、想像に馳せる事ができるでしょう。
ツアー催行日:平成26年8月28日(木)~30日(土)終了いたしました。
ツアー催行最少人数:2名。
ツアー催行最大人数:14名。
ツアー料金:1500ドル。(ロサンゼルスからの往復の航空券、ホテル、日本語ガイドなどが含まれます。)
ツアー行程詳細:以下をご覧ください。
リーガルシアター・・・ジャクソン5が3週連続でここで行われたアマチュア・タレント・コンテストで優勝した。1968年にジャクソン5がここで、演奏したとき、グラディス・ナイトの計らいでモータウンの重役が彼らのパフォーマンスを見て興味をしめし、ベリー・ゴーディに打診したが、それでも彼はジャクソン5に興味を示さなかった。1963年にはマービン・ゲイがここでライブを行って、それがライブアルバムになっている。
シアターの壁には、ブルース、ジャズ、R&Bを代表するアーティストたちの壁画が描かれている。
スター・ユニフォーム・・・映画『マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔』でマイケルが来店したお店。 警官や消防士のユニフォームやグッズを専門に扱うショップ。マイケルの衣装は制服からインスピレーションを受けた物が多く、ワッペンや防火マスクやゲーリー消防署のロゴ入りTシャツなどを購入しました。
店のバナーには、マイケルのサインが施されています。
店内にはマイケルが来店した時の新聞記事が記念板になって飾られています。
店内には、マイケルがこの店に来店した時の写真が飾ってあります。
ゲイリー・シティホール・・・やはり、映画『マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔』でマイケルがこのシティホールを凱旋訪問し、市長と面会しました。私たちが表敬訪問した時も、ウィルソン市長が直々に私たちを出迎えてくれ、お土産にゲイリー市のピンバッチなどをいただきました。
ゲイリー市の創設者の銅像が市庁舎前で出迎えてくれます。
USスティール・ヤード・・・地元のマイナーリーグチーム、ゲイリー・レイクショア・レイルキャッツのホーム球場。 マイケルがゲイリーシティホールを訪れた時、市長の計らいでマイケルがこの球場に招待された。
2003年の6月11日にマイケルはこの球場にお目見えし、レイルキャッツのマスコット、ラスティと握手しました。
その時に、球場のお客様に配られたマイケルのグローブのボブルヘッド人形。私たちが訪れた時も、残りの1個をお土産にくださった。
2012年6月22日、ジャクソンズがこの球場を表敬訪問した。
パレス・シアター・・・ジャクソン5はここで演奏したことはなかったが、看板に彼らの栄誉を称えた文字が今でも刻まれている。 チケット窓口には、人形の係員が座っている。
もとシアーズがあった場所・・・マイケルの母、キャサリンさんが1950年代から1960年代の初めにこのシアーズで販売員のパートとして働いていた。 建物は当時の面影を残している。 シアーズはかつて世界最大の百貨店であった。シカゴのダウンタウンに聳え立つ全米で最も高いウィリスタワーはかつてシアーズタワーと呼ばれ、同社の繁栄の象徴であった。
映画『マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔』で、マイケルが訪れたKFC。ツアーでは、ここでランチをとる予定です。
もとガーネット小学校があった場所・・・1963年頃に、マイケルと兄弟たちが通った小学校。 一度は廃校になったが、その後マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・アカデミーと言うアダルトスクールになり、また廃校されて、2010年の3月にイメージ・オブ・ホープという会社として生まれ変わっている。 マイケルはここで、映画『サウンド・オブ・ミュージック』の「全ての山に登れ」という曲を両親とお爺ちゃんの前で披露し、普段頑固なお爺ちゃんをも感動させて涙させた。
ルーズベルト公園(リトルリーグ公園)・・・ガーネット小学校の真向かいにあるこの公園は、かつてジャーメインやティトなどが好んで野球をした場所。 球場は今でも地元の子供たちに利用されている。
ジャクソン家・・・すべてはここから始まった。 マイケルが彼の人生の最初の10年をここで送った。小さくはあるが、とてもかわいらしい家。かつてここにジャクソン家の家族11人が暮らした。「玄関からたったの5歩進んだだけで、裏庭に出れちゃうんだ。多分、車庫よりも小さかったよ。」とマイケルはかつて自分の家をこう表現している。ジョセフとキャサリンはこの家を1950年に500ドルの頭金を支払い、8500ドルで購入している。
家のゲートに取り付けてあったホワイトボードには訪れた人やファンのメッセージで埋め尽くされていた。
ルーズベルト高校・・・かつて、マイケルのお兄さんたちが通った高校。残念ながら、ちょうど2012年の6月29日で廃校になる。その後は、アダルトスクールになるらしい。 マイケルはこの学校に実際には通わなかったが、兄弟とコンテストに出て、テンプテーションズの「マイガール」を歌い、優勝している。他にもロバートパーカーの「ベアフッティング(裸足になって)」を演奏し、マイケルは実際に、ステージ中を裸足で踊り回った。キャサリンさんが入信していたエホバの商人の日曜礼拝もかつてここで行われ、キャサリンさんは1963年にこの高校のプールサイドで洗礼を受けた。 映画『マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔』でも、マイケルがこの高校を凱旋訪問し、名誉卒業証書を授与されている。
ギルロイ・スタジアム・・・ジャクソン5がかつてここで演奏し、毎年行われているタレントサーチコンテストで優勝した。 もう今は使われていないが、スタジアムはそのままの状態で残っている。 1968年の9月27日に、モータウンレコードが時のゲイリー市長リチャード・ハッチャーの市長選選挙キャンペーンの資金集めのためのチャリティーコンサートを開き、グラディス・ナイト&ピップス、ショーティー・ロング、ボビー・テイラー&バンクーバーズなどが出演する中、ジャクソン5がオープニングを務めた。
ミスターラッキーズ・ラウンジ・・・1964年にジャクソン5が初めて公の場で演奏して、ギャラをもらった場所。 この時の契約金は、たったの7ドルだった。残念ながら、今はもうバーとしては営業していない。
サルベーション・アーミー・・・かつて、マイケルや兄弟がここで着る服などを購入していた。 商品はすべて寄付されたもので、格安で売られている。
もとスティールタウンレコード跡地・・・ジャクソン5が最初に契約したレコード会社があった場所。 1967年にここで、「ビッグボーイ」(B面”You’ve Changed”)や「ウィー・ドント・ハフ・トゥー・ビー・オーヴァー21」(B面”Jam Session”)などの曲がレコーディングされ、翌年にリリースされている。
ウエストサイド高校・・・1971年にこの高校のシアターでマイケルと兄弟がゲイリーでは最期の場所として演奏し、その後カリフォルニアに移住している。
ホーレスマン高校・・・ジャクソン5が唯一コンテストで負けた場所。
セントメアリーズ・マーシー病院・・・マイケルとその兄弟姉妹が産まれた病院。もう閉鎖されている。もともと1907年に建ち、当初はベッドが20個しかなかったが、1993年にベッドの数が300個に増えた。 かつてマーシー病院の名で親しまれ、1974年にはセントメアリーズ・メディカルセンターと改名された。
このツアーでは、J・ランディ・タラボレッリ著/岡山徹訳の『マイケル・ジャクソンの真実』(上)(下)巻を参考文献にしておりますので、ツアーに参加される方は、ツアー参加前にこの本をご一読される事をお薦めいたします。