マイケルジャクソンツアー ロサンゼルス縁の地
2009年6月25日にマイケルさんが逝ってしまってからも、彼はファンの皆さんの心の中で、音楽の中で、彼が残したあらゆる功績や慈善活動で、彼に影響を受けた様々なアーティストたちの中で、今も生き続けています。そして、ここLAにはマイケルさんの縁の地がたくさんあります。せめて、そういった彼の縁の地を訪れることで、ファンの皆様は癒され、彼の軌跡を再確認し、さらにマイケルさんを好きになって、マイケルさんの思いを継承されていくことでしょう。 そんなマイケルさんの縁の地を、私なりに日々研究し、ファンの皆さんに少しでも喜んでいただけるようなツアーを目指して、このツアーは企画されました。
それぞれの場所をMJ専門ガイドの解説つきでご案内いたします。
ご希望の場所をお知らせいただきましたら、お見積もりをお出しいたします。
縁の地は下記からお選びください。
弊社のマイケル・ジャクソンツアーが紹介されたテレビの映像です。
ユニバーサル・シティ・ウォーク
1983年にユニバーサル・スタジオ内にあるギブソン・アンフィ・シアターで行われた友人ライザ・ミネリのコンサートにゲスト出演して以来、ユニバーサル・シティ・ウォークを気に入り、友人や家族と度々訪れていたそうです。1995年には3つのスタジオで、『スクリーム』のPVの撮影も行われました。
オゥンホッパーズ
1983年のライザ・ミネリがユニバーサル・アンフィシアターでコンサートをした後、オゥンホッパーズでアフターパーティーが行われました。このパーティーに、マイケルはクインシー・ジョーンズ、デビッド・ゲフェン、ライザ・ミネリ、ダッドリー・ムーアらと出席しました。このレストランは、その後、カントリー・スター、今はサドル・ランチという名前に変わっていますが、内装は当時のままを保っており、マイケルが来た当時を伺う事ができます。
キャンディー・ファクトリー
1994年5月26日に、マイケルが結婚披露宴で、結婚のご報告のため、音符やハートのマークをあしらえたチョコレート・バーに「リサ・マリー&マイケル」の文字を入れて1000個作り、出席者に配ったそうです。店内には、当時載った新聞の記事のプラックが飾られており、当時の様子が伺えます。
ウォルト・ディズニー・スタジオ
1940年にウォルト・ディズニーが「白雪姫」の成功で得た資金を元にバーバンクに建てたスタジオ。「キャプテンEO」もここで撮影されました。残念ながら、スタジオ内は一般公開されておりませんので、外からの見学のみとなります。
フォーレストローン・メモリアルパーク・ハリウッドヒルズのホール・オブ・リバティー
2009年7月7日、ステイプルズ・センターでの追悼式前に、親族のみでお葬式を行った場所。その前夜にはごく親しい友人や家族だけが集まって、マイケルを追悼する会がしめやかに営まれたそうです。近くに映画スタジオがあるため、ベティ・デイビスなどの大スターも眠る墓地。
ロサンゼルス動物園
1984年の2月5日、マイケルは友達のエマニエル坊やとグリフィス公園内にあるロサンゼルス動物園に遊びに来ている。ちょうど、シュライン・オーディトリアムでのペプシコーラのコマーシャル撮影で、頭部に大やけどを負った1週間後の事だった。マイケルは特に、サルやチンパンジーが大好きで、彼らに癒されたかのかも!?
フォーレストローン・メモリアルパーク・グレン・デールのホーリー・テラス
1917年にグレンデールに最初にできた公園墓地。この墓地の大霊朝にあるホーリー・テラス内の奥にあるステンドグラスの真下の大理石の棺の中にマイケルさんが安置されている。残念ながら、中には入れませんが、マイケルさんのお墓の写真をお見せいたします。
ローズ・ボール
1993年に行われたNFLの大座を決めるスーパーボールのハーフタイムショーでスタジアムの中央ステージでサングラスをかけて静止し、直後に「ジャム」「ビリージーン」「ブラック・オア・ホワイト」をメロディーで歌い、最後に「ヒール・ザ・ワールド」を披露した場所。
パサデナ・シビック・オーディトリアム
1983年のモータウン25周年記念コンサートで、マイケルが初めて公の場で、「ビリー・ジーン」を歌いながら、ムーン・ウォークを披露した場所。 その時の模様を、世界で約5千万人の人々がライブ中継で観ていたと言われる。 ツアーでは外装のみ見学可。コンサートなどもある。
ロサンゼルス郡検死局
マイケルさんの検死が行われた場所。日本人のトーマス野口さんがマリリン・モンローやロバート・F・ケネディなどの検死を行った場所。80年代にロスの日系社会を騒がせた「ロス疑惑」の三浦和義氏も自殺した後、ここで検死されている。中にギフトショップもあります。
パシフィック・ユニオン・アヴェニュー(スリラー通り)
1983年に映画「狼男アメリカン」のジョン・ランディスが監督、リック・ベイカーがメイクを担当して、日本円で約2億円かけて作られたPV「スリラー」でマイケルがゾンビとダンスを踊った場所。メイキングの映像に、近辺の映像が出てくるが、夜は本当にスリラ~かも!?
「今夜はビートイット」で使われた倉庫
「今夜はビートイット」でギャング達がシャッターを開けるシーンとダンスシーンで登場した倉庫。この隣にある、ガソリンスタンドもよく見るとビデオに登場する。現在はサッカー用品の問屋になり、営業中であれば倉庫内を見る事ができ、当時の面影を多少伺う事ができる。
「今夜はビートイット」で使われた路地裏
「今夜はビートイット」でギャング達が左右対称にこちらに向かって歩いてくるシーンが撮られた路地裏。 こちらもダウンタウンのホームレス街にあるため、治安はよくない。 車窓ならOKだが、夜は絶対に行かない方が良い。 ツアーでは、基本的に車窓のみ。
「今夜はビートイット」で使われたプールバーのあった場所。
「今夜はビートイット」で当時プールバーがあった場所。 その昔は、Hard Rock Cafeとして、ドアーズのアルバムジャケットの裏にも使われたが、今はGreen Apple Marketというコンビニふうのお店に改装されている。左横には、レストランもあり、多少当時の面影が残っている。
「今夜はビートイット」で使われたカフェ。
「今夜はビートイット」でマイケルが観音扉を開けて入ってきたカフェ。新しいオーナーがマイケルのメモラビリアを壁に飾ったり、マイケルの壁画などが描かれて、よりマイケルっぽくなってきて、マイケルファン必見の場所!
『ストレンジャー・イン・モスクワ』で使用された通り。
1995年頃に『ストレンジャー・イン・モスクワ』のショートフィルムが撮影された通り。以前から、映画やコマーシャルなどにもよく登場し、撮影で有名な通り。チャールズ・ブロンソン主演の映画にも登場したホテルが近くにある。
パレス劇場
1911年に当時「オフィアム劇場」として誕生したが、その後同名劇場の誕生により、「パレス劇場」と改名され、アメリカ初の映画館として90年代中ばに閉館されるまで活躍した。「スリラー」では、オーラ・レイと映画館から出てくるシーンで入口の外観のみが登場する
マイケルジャクソンの誕生日パーティーを行った場所
2003年の8月30日にマイケルの45歳の誕生日パーティーが行われた場所。映画『マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔』でその時の様子が伺える。最近はダウンタウン再開発に伴ってコンサートもよく行われているが、日本のミュージシャンでは、Gacktさんが数年前にここでライブを行っている。
グラミー賞のウォークオブフェイム
1984年のグラミー賞で「スリラー」が年間アルバム賞、「今夜はビートイット」が年間レコード賞を、1986年のグラミー賞では、年間ソング賞に「We Are The World」、USA FOR AFRICAで年間アルバム賞を受賞しています。そのメダリオンが歩道に。
ステイプルズ・センター
1999年にNBAレイカーズなどのホームとして、ダウンタウン再開発地区に誕生したLA随一のハイテクアリーナ。 2009年に「This Is It」のリハーサルで使用され、7月7日のマイケルの追悼式が行われた。毎年グラミー賞やビッグアーティストのコンサートが多数行われている。
デンジャラスの壁画
ニュージーランドのストリートアーティスト、オーウェン・ディッピーが無料で4日間かけてスプレーだけで描き上げた壁画。
シュライン・オーディトリアム
1906年にパレス劇場も手がけたランズバーグ氏により設計された。収容人数は約6500人で、過去に様々な授賞式が行われている。1984年のペプシのCM撮影が行われた場所であり、第29回アメリカン・ミュージック・アワードでは、今世紀を代表するアーティスト賞を受賞した。
ファースト・アフリカン・メソジスト・エピスコパル教会(通称:FAME)
2004年マイケルが弟のランディと友人のスティーブ・ハーヴィー、そして弁護士のトム・メゼローと一緒に、突然この教会の礼拝と日曜学校を訪れ、ファンを大喜びさせました。日曜日なら、8、10、12時の礼拝にも参加でき、中を見学できる。
ダイアナ妃のメモリアルサービスにマイケルが来た場所。
1997年、パリで起きた交通事故により、若干37歳の若さでこの世を去ったダイアナ妃のメモリアルサービスがロサンゼルスのとある教会でしめやかに営まれた。その会場にはマイケルの姿も。マイケルは正面の入り口から入り、帰りは裏口から去っていった。今でもマイケルが入ったこの教会の入り口を見ることができる。日曜日なら、礼拝に参加することも可能だ。
ジャクソン5がジュニア・ゴルフ・コースを寄贈したゴルフ場
約40年も前に、ジャクソン5がジュニアの為のゴルフコースを寄贈した場所。ジャクソン5はここで一日、家族、子供たち、プロゴルファー、政府関係者に会い、サインをしたり、写真を撮ったり、キスをしたりして過ごした。1972年当時寄贈したジュニア・ゴルフ・グリーンの看板が今でもあり、バーには当時を知る人もいて、当時の状況を窺い知る事ができる。
キア・フォーラム
ジャクソン5は、フォーラムで2度コンサートを行っている。1970年の6月20日彼らの最初の全国ツアーと1972年の8月26日の3回目の全国ツアーの時です。1970年のコンサートでは、18675人というフォーラムの最大観客数の記録を作りました。チケットの売り上げも10万5千ドルです。その間、ジャクソン5は2枚のアルバムと3枚のシングルをリリースしました。1972年までに、マイケルやジャーメインのソロアルバムに加えて、ジャクソン5は7枚のアルバムをモータウンからリリースしました。フォーラムで行われたジャクソン5のコンサートは、その後『ライブ・アット・ザ・フォーラム』というライブアルバムとしてリリースされました。2009年の5月と6月に、マイケル・ジャクソンはロンドンのO2アリーナで行われるThis Is Itのコンサートのため、フォーラムでリハーサルを行った。2009年の6月25日マイケルが急死した後、このフォーラムとステイプルズ・センターでリハーサルした映像がその後の映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』で使用された。
マイケルが公衆電話で電話しているフォトセッションが撮られた場所。
ダウンタウンに当時あったメアリー・アンというレストランの公衆電話で行われたフォトセッションでの一枚。もうレストランや公衆電話はないが、後ろに写っている銀行は、今もバンク・オブ・ザ・ウエストとして健在している。当時のビルの窓の面影が昔と変わらず、今も残っている。
ドジャースタジアム
1984年の12月1、2、7、8、9日の5日間ザ・ジャクソンズのヴィクトリーツアーのコンサートが行われた。平日の試合がない日であれば、最上階のトップデッキから球場の中を見渡すことができる。ギフトショップもあるので、ついでにお土産も購入できます。
スリラーハウス
19世紀に建てられたビクトリア朝の家々が立ち並ぶアンジェリーノハイツの一角に今も当時の様相を変わりなく維持している。「スリラー」ではオーラ・レイがゾンビに追われ、この家に逃げ込むシーンで登場する。ちなみに現在の不動産価格は100坪で4ベッド、4バスの6800万円。
雑貨屋 Wacko
マイケルが子供達の玩具を買いに来た店。マイケルが購入した時のレシートを見せてくれる。ジョニー・デップ、ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー、アブリル・ラヴィーン、クリスティーナ・アギレラ、ロビン・ウィリアムズ、ブリジット・ホンダ、パトリシア・アーケットなども来店。
パンテージズ劇場
1930年にアレキサンダー・パンテージズによって作られたハリウッド黄金期を代表する劇場。1949年には飛行家で映画制作者でもあった実業家ハワード・ヒューズの所有する映画会社RKO専用の劇場にもなった。1950年代にはアカデミー賞の会場としてもよく使用され、映画「さようなら」でナンシー梅木さんが日本人では初の助演女優賞を獲得した。1995年6月に発表された2枚組みアルバム「ヒストリー」からの第2弾シングル「ユー・アー・ナット・アローン」のショートフィルムが撮影された。
元モータウンのハリウッドの本社があった場所。
1976年にこのビルの15階の一部から18階までをモータウンがリースしていた。70~80年代によくマイケルがこのビルを出入りしているのが見かけられている。ロビーには当時、金のプラックや写真が飾ってあった。マイケルはガレージからよく出入りし、当時1階にあったバーでスモーキー・ロビンソンなどと会っていた。
ジャクソンズのウォーク・オブ・フェイム
マイケルは音楽部門では唯一ザ・ジャクソンズとソロでの2回、ウォーク・オブ・フェイムを受賞している。この辺りには他にもジャネット・ジャクソンやクインシー・ジョーンズ、ジェームズ・ブラウン、マーヴィン・ゲイなどのR&B歌手屋もータウン系の星型が多数ある。
ダイアナ・ロスがテレビで初めてジャクソン5を紹介した劇場。
1969年10月18日、ダイアナ・ロスが司会をした番組で、ジャクソン5が初めて、全米に中継され、テレビデヴューを果たした場所。運が良いとシアター内も見学させてもらえる。ご希望によっては、中をご案内いたします。 その際は、お問合せください。
アメーバ・ミュージック
倉庫のような店内に、中古から新品のLP、CD、DVD、ビデオ、カセットなどあらゆるジャンルのアーティストのものが置いてある。 ジャクソン5、ジャクソンズ、マイケル・ジャクソンなどのレアなCD、DVDが多数そろっている。
『今夜はビートイット』がレコーディングされたスタジオ
1958年にできたこのスタジオの顧客は当時ウォルトディズニーだけだった。その後、レッド・ゼッペリンⅡとⅣ(『天国への階段』を含む)、ドアーズのほとんどのアルバム、ローリング・ストーンズ、ジェイムズ・テイラー、ジャニス・ジョップリンなどのアルバムもレコーディングされている。(外装のみ見学可。)
マイケルがお気に入りだった中華料理店
80年代にマイケルが好きで、よく来ていた中華料理店。当時から働いている従業員曰く、マイケルがこの店の角を好んで、よく座っていたらしい。ランチメニューは安くて、量も豊富で、割とおいしい。お薦めは、ランチスペシャルのガーリックチキンのソテー。一緒についてくるホット&サワースープや春巻きもなかなかおいしい。
ハリウッド・ボウル
1971年の8月26日、ジャクソン5がコンサートをした場所。他にもナット・キング・コール、ジュディー・ガーランド、エラ・フイッツジェラルド、ビリー・ホリデー、ドアーズ、エルトン・ジョン、サイモン&ガーファンクルなどの大物達がコンサートしているが、1964年にビートルズが最大観客数を動員した。
マイケルやマドンナなどハリウッドスターたちの壁画
クラーク・ゲーブル、トム・クルーズ、ジョン・レノン&ヨーコ・オノ、スティービー・ワンダー、クリント・イーストウッドなどハリウッドスターを追悼して、ホテルのパーキングのガレージに描かれた壁画。
マダム・タッソー蝋人形館
2009年にチャイニーズシアターの横にお目見えしたイギリスの老舗蝋人形館。ずいぶん前からラスベガスにはあったが、ハリウッド・ワックス・ミュージアムのひどさに痺れを切らしたのか!?入場料は25ドルと決して安くはないが、マイケルを始め100体あまりの蝋人形は全て酷似していて、見ごたえがあると評判。マイケルは日本へも一度出張した。実際に蝋人形に触れたり、写真撮影もオッケー。コダックシアター下の観光案内所で5ドルオフの割引券を入手しよう。
マイケル・ジャクソンのウォーク・オブ・フェイム
ハリウッドのグローマンズ・チャイニーズ・シアター前にあり、いつも観光客がひっきりなしに写真を撮っている。亡くなった時にはたくさんの献花で埋め尽くされた。マイケルのそっくりさんがいたら、星型を入れて一緒に写真をとってもらうと良いかも。
マイケルのスパンコールのグローブとシューズ、プリンス、パリス、ブランケットの手形、足型、サイン
2012年1月26日にシルク・ド・ソレイユの『マイケル・ジャクソン・ザ・インモータル・ワールド・ツアー』のLA公演に先駆けて、チャイニーズシアター前に永久不滅となりました。
ハード・ロック・カフェ内のフェドラの帽子
ハリウッドのハード・ロック・カフェ内にあるマイケルの黒のフェドラ帽。 チャイニーズシアターとコダックシアターの間に挟まれたハード・ロック・カフェの入り口を入ると、すぐ右横の柱の壁に展示されている。マイケルがファンが持っていたマックのおもちゃと交換してあげたもの。ウォークオブフェイムやマダムタッソーのついでに見学してみては!
『Bad』のスタジアム・ジャンパー
このジャケットは、1987年から1989年のバッドのワールドツアーでギタリストを担当したジェニファー・バトンが着ていたものらしい。隣には、『This is it』でギターを弾いていたオリアンティのギターも飾ってある。
ドルビー・シアター
2003年6月24日、ここで行われた第3回BET(ブラック・エンターテイメント・テレビジョン)アウォードで、「ソウルの帝王」ことジェイムズ・ブラウンのパフォーマンスにマイケルが飛び入りで参加した。ステージ上でマイケルとジェームズが共演するのは約20年ぶりのことであった。その後マイケルは「ここにいるこの人物ほど、僕に大きな影響を与えた人はいない」とスピーチし、自らの師匠であるブラウンに生涯功労賞を手渡した。
ガードナー・ストリート小学校
マイケルが6年生(11歳)の時に1週間だけ通った小学校。1989年、講堂に「マイケルジャクソン」の名が刻まれたが、その後のスキャンダルが原因で2003年に板で覆われてしまうが、2010年10月にファンの署名により見事はずされる。日曜日の礼拝時には、講堂内にも入れる。
ジムヘンソン・スタジオ
元々1917年に喜劇王チャールズ・チャップリンによって建てられたスタジオで、1962年にA&Mレコード社になり、1985年のアメリカン・ミュージック・アウォード後に、45人のビッグ・アーティストたちによる名曲「ウィー・アー・ザ・ワールド」がチャーリー・チャップリン・サウンドステージで夜通し録音されました。
『オフ・ザ・ウォール』のボーカルがレコーディングされたスタジオ
1979年のアルバム『オフ・ザ・ウォール』のボーカルがレコーディングされた。他にもアルバム『スリラー』のセッションで使用された。 今はコマーシャルのキャスティングスタジオとして生まれ変わっている。キャスティングが行われていなければ、中の見学も可能。
『ビリー・ジーン』のショートフィルムが撮影されたスタジオ
1983年の1月、アルバム『スリラー』からの第1弾シングル『ビリー・ジーン』のショートフィルムが撮影されたスタジオ。監督はスティーブ・バロン。夕方から、夜遅くまで長時間撮影が続いた。1993年には『フー・イズ・イット?』もここで撮影されている。残念ながら、外装のみ見学可。
ウェストレイク・レコーディング・スタジオC,D&E
アルバム『バッド』がレコーディングされたスタジオ。『バッド』はスタジオDでレコーディングされ、バブルス君がバルコニーで見学でき、マイケルも広いステージで踊りながらできた。その他『アイ・ジャスト・キャント・ストップ・ラヴィング・ユー』のフランス語ヴァージョンなどがスタジオCでレコーディングされている。
元モータウンのハリウッド・スタジオがあった場所。
ジャクソン5やマイケルがモータウン時代にレコーディングしていたヒッツビル・レコーディング・スタジオ。マイケルはレコーディング中、よく真向かいにある公園で遊んでいたらしい。今も70年代にできた当時の面影を残している。
ピンクス
1939年に当時カートで売れない俳優たちに安い食を提供していたポール・ピンクさんにより創められた。マイケルもジャクソン5の頃からよく夜中にリムジンでここの名物、9インチのチリドッグを買いに来たそうだ。写真は1973年のジム・ブリットによるフォトショットの風景。
ゴールデン・アップル
マイケルがよくコミック・ブックを買っていた店。子供たちとも来店している。アル・ヤンコビックの「ホワイト&ナーディー」のPVや様々な映画にも登場している。オーナーのシャロンさんや息子のライアンさんは実際にマイケルや子供たちと何度も会っているほど、マイケルは長年の常連客だったようだ。
モイスト
以前マイケルがマスク、サングラス、帽子を被ってこの店に来店している。店内にはマイケルが来店した時の写真があり、当日の状況も店の人から伺える。 商品の趣味がとても良く、マイケルが購入した商品なども教えてくれる。弊社のツアーで行かれれば、最大50%のディスカウントをしてくれる。
フェアファックス高校
お兄さんのジャッキーとティトが通った高校。 ここは、他にもレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(通称:レッチリ)のボーカルのアンソニーやベースのフリー、そして「ブラック・オア・ホワイト」でギターを弾いたガンズ&ローゼズのスラッシュなど今までにたくさんのセレブが卒業した高校。
チェロキーロフト(元チェロキー・レコーディング・スタジオ)
「オフ・ザ・ウォール」の一部がレコーディングされた。他にも、フランク・シナトラ、ダイアナ・ロス、デビット・ボウイ、エアロ・スミス、モトリー・クルー、レニー・クラビッツ、デーブ・マシューなどのレコーディングが行われた。今は、ロフトとして生まれ変わっている。 ロフトの入り口のロビーには、『オフ・ザ・ウォール』の時のマイケルの大きな壁画がある。タイミング次第で見せてもらえるかも!?
マイケルが大好きだったベジタリアン・レストランがあった場所。
1980年代にこの店がマイケルの大好きなベジタリアン・レストランだった時に、マイケルが良く来ていた。そして、ヴィクトリーツアーやバッドツアーで専属シェフをしていたアカシャさんやマニーさんももとはここのシェフをしていた。マイケルから引き抜かれたわけだ。今はグルメ・メキシカンレストランになっている。
ウェスト・レイク・レコーディング・スタジオA&B
アルバム「オフ・ザ・ウォール」や「スリラー」などがレコーディングされたスタジオ。他にも、ジャネット・ジャクソン、マドンナ、ヴァン・ヘイレン、ブリトニー・スピアーズ、アラニス・モリセット、ケリー・クラークソン、シャキーラなどもここでレコーディングした。 ツアーで中をご覧になりたい方は、弊社までお問合せください。
シーダーズ・サイナイ・メディカル・センター
1997年2月13日、マイケルの長男、プリンスが産まれた病院。他にもミッシェル・ファイファー、メアリー・ハート、ロナルド&ナンシー・レーガン、マイケル・J・フォックス、クリント・イーストウッド、ピアース・ブロスナン、ジャック・ニコルソン、ウォーレン・ビーティ、アネット・ベニングなどの子供も産まれている。
レストラン・アイヴィー
1990年にマドンナと、1998年にはリサ・マリーとマイケルが一緒に食事をしているのが目撃されている。 映画『ボディーガード』でホイットニー・ヒューストンがこの店から出てくるシーンにも登場する。 私も実際「アメリカンアイドル」の辛口審査員として有名だったサイモン・フラーが食事をしていた所を目撃したほどセレブ御用達の高級レストランとして名高い。
ウエスト・ハリウッドにあるマイケルが来たアンティークとアウトドア・アートのお店
2008年の10月23日、マイケルがウエスト・ハリウッドにあるこの店に来店している。店は今でも営業しているので、マイケルが買い物した時のように、店内を見て回ることができる。
ウエスト・ハリウッドにあったアート&アンティークスのメイフェアー・ギャラリー
やはり、2008年の10月23日、マイケルがウエスト・ハリウッドにあるこのアンティークの店に立ち寄っている。残念ながら、店は閉店してしまったが、店の前で写真を撮ったり、マイケルが立った場所を確認しながら、当時を偲ぶことができる。
ビバリーヒルズ・アートショー
マイケルは、3年前の5月にビバリーヒルズの公園で行われたアートショーに子供たちと一緒に参加している。このアートショーは、ビバリーヒルズの公園で頻繁に行われている。
ハウス・オブ・ブルース・サンセット・ストリップの巨大スクリーン
2001年、外にある巨大スクリーンに当時のマイケルのシングル「ユー・ロック・マイ・ワールド」のショートフィルムのプレミアが流されました。ハード・ロック・カフェに長年携わったアイザック・タイガー氏が始め、「ブルース・ブラザース」のダン・アクロイドがオーナーの一人。
マイケルが食事をした元フレンチレストラン
70年代から90年代にマイケルが食事をした元フレンチレストラン。70年代にはジャクソン5のフォトショットもこの店の前で撮影されている。1980年代に数回食事をしている。今はステーキハウスとして生まれ変わっているが、内装は当時とそう変わらない。ディナーは高めなので、ランチで行くとお得。
ブック・スープ
マドンナなどのセレブも通う本屋として以前から有名。 マイケルも実際ここを訪れている。 マイケル関連の本なども多数置いている。 Youtubeでの映像をご覧下さい。
オン・ザ・ロックス
マイケルの初めての彼女、テイタム・オニールに出会った場所。ここは、「ブルース・ブラザーズ」のジョン・ベルーシが、ドラッグ中毒で亡くなる前に、最期に食事をした場所でもある。
ジャクソン家が最初に住んだロサンゼルスの家
ゲイリーからLAに来て、最初はホテルなどを転々としていたが、1969年にようやくベリー・ゴーディからこの家をあてがわれた。間取りは、2962スクエア・フィートで、4寝室に4バス&トイレ。その後、騒音などが原因で家を追い出され、1971年にエンシノの家に引っ越している。
元トロピカーナ・モーテル
1969年の8月、ベリー・ゴーディーがジャクソン5をハリウッドに呼び寄せた時に、あてがったモーテル。60~80年代は、「ロックンロールのオアシス」と呼ばれ、ドアーズ、クラッシュ、セックス・ピストルズ、ザ・ジャム、ザ・バーズ、イギー・ポップ、ブロンディ、ラモーンズ、ブルース・スプリングスティーンなども宿泊。
ビバリー・ヒルズ・ホテル
マイケルがエリザベス・テイラーとこのホテルのロビー階にあるポロ・ラウンジでよく食事を共にしていた。イーグルスの名盤「ホテルカリフォルニア」のアルバム・ジャケットでもお馴染み。マイケルは特にこのホテルのプールサイドにあるカバナ・カフェが好きで、頻繁に訪れていたようだ。セレブ目撃率が非常に高いホテル。
マイケルがフォトセッションをした公園
マイケルは昔この公園の噴水の辺りでフォトセッションをしている。ちなみに、この公園の公衆便所でワムのジョージ・マイケルがわいせつ容疑で逮捕されている。映画『ラ・ラ・ランド』ロケ地としても登場し、市民の憩いの場的場所だ。
トムズ・トイズ
亡くなる1ヶ月前に子供たちのために玩具を購入した。ワッコーやオフ・ザ・ウォールに比べて、特に奇抜さは感じられず、どこにでもあるごく普通のアメリカの玩具屋さんといった感じ。ユーチューブで、パパラッチが店の周りを取り囲み、子供たちと出てくる映像が拝見できる。
スパゴ・ビバリー・ヒルズ
1991年のアカデミー賞後、マイケルとマドンナがここで行われたアフター・パーティーに参加しました。オーストリア出身のセレブリティーシェフとして有名な、ウルフ・ギャング・パック氏のお店。ビバリーヒルズでは特に有名で、お料理もなかなかおいしいとか!?
ウェストフォード・コンドミニアム
芸能ゴシップ番組『ハード・コピー』によると、マイケルの元メイドの話の中で、マイケルが「特別なお友達」を連れ込んだとされる「隠れ家」はこのウェストフォード・コンドミニアムであることを証言した。このコンドのそばには、マリリン・モンローなどのお墓もある有名墓地がある。
ロナルド・レーガンUCLAメディカル・センター
2009年6月25日、マイケルがベルエアーの自宅で心配停止状態に陥り、スタッフが119番通報。12時26分に救急隊が到着し、13時14分にロナルド・レーガンUCLA付属病院へ救急搬送されるが、約42分間に及ぶ蘇生活動を行うも、14時26分に帰らぬ人となった。
ホーンビー・ヒルズの家
2002年に建築家リチャード・ランドリーが設計し建てられ、2004年に元エドハーディのCEO夫妻が約18億円で購入。2009年の1月から6月までマイケルに家賃約1千万円で貸していた。敷地面積約1500坪、屋敷が約500坪あり、7寝室、13浴室、図書館、映画館、ワインセラー、ジム、エレベーター、12個の暖炉がある。
エマーソン中学校
マイケルが7年生(12歳)の時に、2週間だけ通った中学校。何者かによる脅迫状が学校に送リつけられたため、たまりかねたマイケルの両親が学校を辞めさせた。
マイケルが来たメキシカンレストラン
マイケルが最初にこのレストランを訪れた時は、正面ドアから入ってきたそうだが、2回目は裏の秘密の扉から入り、2階の奥の席に座ったそうだ。 マイケルはここのビーフのチーズ・エンチラダを頼んだそうだが、マイケルも好きだったシュリンプ・エンチラダが入ったメニューがお奨め。
スズキラヴのコマーシャル撮影が行われた場所
1981年の暮れ頃から1982年の年明けぐらいに、スズキのラヴのコマーシャル撮影がロサンゼルス一体で行われ、スズキラブに乗ったマイケルが至る所で目撃されている。特にこのヨットハーバーでの撮影がコマーシャルでは一番印象深く、今でも撮影された場所が30年前の当時と変わらず、今も残っているのは、ファンには非常にありがたい。
ブロットマン・メディカル・センター(マイケル・ジャクソン・バーン・センター)
1984年のペプシのコマーシャルで頭皮に大火傷を負い、運ばれて治療された病院。その後、ペプシとの示談で得た150万ドルをこの病院に寄付した。それゆえ当時この病院はマイケル・ジャクソン火傷センターと名づけられたが、今は知る人は少ない。
レストラン・アカシャ
元マイケルの専属シェフだったアカシャ・リッチモンドさんが経営するレストラン。マイケルが好きだったスウィート・ポテト・フライ、マルゲリータ・ピザ、ニュー・メキシカン・エンチラダ、バナナ・クリーム・パイなどのスペシャルメニューを食べたい方は弊社までお問合せください。
エンシノのご家族の家
キャサリンさんや、子供たちが住んでいる実家。マイケルに何かプレゼントや手紙を届けたい時は、ポストに投函するか、セキュリティーに頼めば、キャサリンさんや家族の誰かに渡してもらえるかも!?パリスちゃんやランディ・ジャクソンJr.に遭遇したことも!
マイケルが通ったプライベート・スクール
マイケルが14歳の時、9年生と10年生の時に2年間通ったプライベートスクール。マイケルは、パリス・ヒルトンのお母さんのキャシー・ヒルトン、ラトーヤ、マーロンらとこの学校に通った。
マイケルの元マンション
J.ランディ・タラボレリ著の「マイケル・ジャクソン」によると、マイケルが1981年に彼の顧問弁護士の奨めで、このマンション(3寝室、3浴室)を21万ドルで購入した。本当の理由は、キャサリンさんがいつジョーパパと分かれてもいいように、彼女の居場所を心配して購入したのだ。
ネバーランド・ランチ
敷地面積が約3000エーカーもある牛や馬がいるのどかな牧場。ポール・マッカートニーと歌った「セイ・セイ・セイ」でロケに使用してから、気に入って購入したらしい。残念ながら門までしかご案内できませんが、近くにある「MJランチ」の標識をバックに記念撮影ができます。
ロスオリボスの街
ネバーランド・ランチから車で10分ぐらいの人口1000人ほどの小さな街。市役所もなく、町の産業はワイナリーやオリーブ栽培、酪農など。数年前にオスカーにノミネートされ話題になった映画「サイド・ウェイズ」や松嶋菜々子さん主演のドラマ「百年の物語」でも登場します。
サンタマリア裁判所
2005年、マイケルの無罪が確定し、マイケルがリムジンの上に乗って、応援してくれたファンにエールを送った場所。平日の4時前に行くと、裁判所の中が見学でき、運が良いと、傍聴席で本物の裁判なども見学できる。 当時のマイケルの刑事裁判や民事裁判などを担当した裁判官の写真もご紹介します。
『Say, Say, Say』のビデオに登場したホテル
マイケルがポール・マッカートニーと共演したショートフィルム『Say, Say, Say』に登場するホテル。他にもジョン・ボン・ジョヴィの“Bang A Drum”のPVにも登場し、1950年代にはジョニー・キャッシュもここのダイニングで演奏した。
『セイ・セイ・セイ』のMVで使用されたアンティークモール
マイケルとポールがピエロの格好をしたりしてステージで踊るシーンが撮られた場所。このアンティークモールにステージを置いて、ダンスシーンなども撮られた。たまに、マイケルのお宝グッズが見つかることも!?
マイケルが子供を連れて来たレストラン
ここはかつて、馬車駅として地元の人がサンタバーバラへの道中、寝泊りしていたホテルがあった。現在はレストランとなっており、マイケルも3人の子供たちとここで食事を楽しんだ。残念ながら、2~3年前にこのレストランは潰れてしまった。J・ランディ・タラボレッリ著の「マイケル・ジャクソンの真実」(上)の11ページ、1早熟の天才の冒頭にマッテイズ・タバーンとう記述が登場する。
ソルバング(デンマーク村)
ネバーランドからロスオリボスの町を抜けて、車で約20分。オランダやデンマークからの移民の町がある。こちらも映画「サイドウェイズ」で使用されたレストランなどがあり、マイケルもよく子供たちをつれて遊びに来ていたようだ。まるでヨーロッパに来たような気分になれる。マイケルが来たチョコレート屋さんやオルゴール屋さんなどもご紹介します。
マイケルが訪れたタコベル
スパイダーマンのマスクを被りドライブスルーでチーズピザを2つ、ブレッドスティクスを1つ、ミネラルウォーターを1本、チキンソフトタコスを3つ購入している。現在はピザハットはなく、タコベルのみでチキンソフトタコなら注文可能。
ロサンゼルスやネヴァーランド周辺の縁の地の地図です。 これを参考に、まわりたい縁の地の場所を把握できます。
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ロサンゼルス市内から、ネバーランドランチまでは時間にして車で片道2時間半-3時間の道のりとなります。(渋滞の場合は更にかかることもございます。)下記の地図をご参考にしてくださいませ。
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