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ドアーズの追悼ツアー  Totally Doors Tour!

ザ・ドアーズ追悼ツアー

~ジム・モリソンの軌跡を辿る〜

「もし知覚の扉が浄化されるならば、全ての物は人間にとってありのままに現れ、無限に見える。」という18世紀のイギリスの詩人、ウィリアム・ブレークの詩の一説からオルダス・ハクスリーが取った書のタイトル『知覚の扉』をもとに名付けられたアメリカを代表するロックバンド、ドアーズ。 1965年から1970年代始めまで活動し、ジム・モリソンの急死によってレジェンド化し、今もアメリカでは根強い人気を誇り、ドアーズ追悼バンドなどのライブがLA近辺のライブハウスでよく行われている。 ジムの作る幻想的な詩に、レイ・マンザレクの弾く独特なキーボードの音色がマッチし、かつセックスシンボル的なジムの容姿と男らしいワイルドな歌声がドアーズの魅力を不動のものにする。 ジムが亡くなってもう40年以上も経過しているのに、彼らの音楽はドアーズ独特の世界を醸し出し、決して色あせない。 昨年、キーボードのレイ・マンザレクが亡くなって、残すメンバーも二人となり、ますますドアーズが遠い存在になりつつあるが、LAにはそんなドアーズの縁の地が数多く残されており、彼らの軌跡を辿りながら、最後は彼らの最高の追悼バンド、ワイルド・チャイルドを鑑賞すれば、まるでリアルタイムでドアーズを見ているような錯覚さえ覚える。 まさに、ドアーズの疑似体験ができる素晴らしいライブになる事は間違えないであろう。 このツアーでは、そんなドアーズファンの皆様をドアーズの世界にいざないます。ツアーでは、ドアーズがよく来ていたバー、クラブ、酒屋、ホテル、モーテル、家、壁画などをドアーズマニアの解説を聞きながら、ご案内いたします。

ツアー催行日:弊社の担当ガイドが空いている日はいつでも。

ツアー料金:1時間70ドルでミニマム5時間以上のチャーターサービス。

催行最少人数:お一人様から。

キャンセルポリシー:特にございません。

ツアー催行時間:未定。お問い合わせください。

ツアー出発時間:未定。お問い合わせください。

ツアー出発場所:お泊りのホテルまたは、滞在場所までお迎えにあがります。

ツアー行程:以下をご参照ください。

①ジム・モリソンの壁画 ②「ソウルキッチン」のもとになったレストランがあった場所 ③ジムが初めて公で歌を披露した場所 ④UCLA ⑤コック&ブル(元あった場所) ⑥ギル・ターナーズ(酒屋)⑦ガザリ ⑧ロンドン・フォッグ(元あった場所) ⑨ウィスキー・ア・ゴー・ゴー ⑩ブックスープ ⑪カレイドスコープ(元あった場所)⑫コンチネンタル・ハイアット・ハウス(元あった場所)⑬シャトーマーモント ⑭キャニオン・カントリー・クラブ ⑮もとジムがパメラと住んでいた家 ⑯ジムが住んだLA最後の家 ⑰バーニーズ・ビーナリー ⑱アルタ・シエネガ・モーテル ⑲モナコ・リカーストア ⑳ドアーズのオフィス(元あった場所) ㉑トロピカーナ・モーテル(元あった場所) ㉒パームズ・バー

まずはドアーズファンにとってランドマーク的存在のジム・モリソンの壁画。リップ・クロンクによって描かれました。

当時ここに「ソウルキッチン」のモデルになったレストランがあった。ジムは皆で楽しく食事をするという事の素晴らしさを歌った。残念ながら1972年か1973年にこのあたりの再開発のため、取り壊されてしまった。今はスケボー専門店になっている。

ジム・モリソンがレイ・マンザレクのバンド、リック&ザ・レイヴンズに参加して、初めて公の場で歌を披露した場所。ジムは、リチャード・ベリーのロックのスタンダードナンバー「ルイ・ルイ」 を披露した。

1964年にジムはUCLAで映画を学ぶためにロサンゼルスにやってきた。ジムは1965年にUCLAの大学院で映画学科の博士号を取得するが、卒業式には参加しなかった。ジムは在学中いくつかの短編映画を製作した。ドアーズのPVを見ると彼の映像への才能がうかがえる。

ギル・ターナーズ・・・ここは時々「スターの酒屋」と呼ばれ、ドアーズのメンバーもよくウィスキー・ア・ゴー・ゴーでのライブの合間にウィスキーを買いに来ていた。当時はまだウィスキー・ア・ゴー・ゴーにハードリカーのライセンスは無かったようだ。

ロックンロールのゴッドファーザーこと、ビル・ガザリがオーナーだったクラブ、ガザリ。ドアーズはここのハウスバンドでもあった。1996年にビルボードライブ、その後キークラブになり、今は新しいテナントを募集中だ。

ドアーズがハウスバンドをしていたクラブ。ゴーゴーダンスの発祥の地で、ツッぺリン、ジミヘン、フー、クラプトン、キンクス、ヴァン・ヘイレン、ガンズ、ニルバーナなどロック界の大御所が過去にプレイしている。云わば、ロックの登竜門的な場所である。

ここは1960年代はCinematique 16という小さな映画館だった。1969年の5月30日~31日に行われたノーマン・メイラー基金のイベントで、ジムが自身の詩を朗読した。その時、ギター担当のロビー・クリーガーも同伴していて、後のアルバム”An American Prayer”にも収録された”Far Arde Blues”がレコーディングされた。

この世界でも有名なコメディストアは、1960年代はカレイドスコープと呼ばれたクラブがあった。1967年の4月21日~23日ドアーズはここで3日連続プレーした。

このホテルは60~70年代はライオットハウスという異名を持ち、ツッぺリンやストーンズなどロックスターの御用達のホテルだった。ジム・モリソンもその中の一人だったが、窓枠に指だけでぶら下がった行為で、ホテルから締め出されてしまった。

ジム・モリソンはこのホテルの雨どいに手をかけて、屋根から部屋に入ろうとして、背中を痛めた。映画『ドアーズ』でもそのようなシーンが登場する。

「ラブ・ストリート」の歌詞の中で、爬虫類どうしが遭遇する場所として登場する。この店の裏に、ジムはパメラのために家を購入した。

1980年代に壁画アーティスト、マイク・マクネイリーによって描かれたジム・モリソンの壁画。

1968年7月5日、ハリウッド・ボールで大規模なコンサートを 行った。この時の映像は『ライブ・アット・ザ・ボウル68’』として映像化されている。

ジム・モリソンがアメリカで最後に住んだ家。実際はパメラの家だったが、今のオーナーは一泊200ドルでファンに宿泊させている。

やはり、ジム・モリソンがよく通っていた酒場、バーニーズ・ビーナリー。オリバー・ストーン監督の映画『ドアーズ』の一部もここで撮影された。

ジム・モリソンが1968年~1970年までこのモーテル32号室を借りていた。このモーテルの32号室は、ジム・モリソンルームと呼ばれ、部屋の壁は世界中のファンが書いたメッセージで覆われている。ファン必見の場所だ。

やはり、ジム・モリソンがリハの合間によく酒を買いにきていたリカーストア。 オフィスやスタジオにも近く、最高の立地条件に位置していた。

今はベンヴェヌート・カフェというレストランだが、 この建物の2階に昔ドアーズのオフィスがあった。1階で『LAウーマン』がレコーディングされた。

もと、トロピカーナというモーテルがあった場所。ドアーズのメンバーもよく宿泊していた。

はやり、ジム・モリソンがリハの合間によくここのバーでビールやウィスキーを飲んでいた。今はレズビアンのナイトスポットだ。